超大手・安定志向だった水球の国体選手

全国ベスト8の学生時代

学生時代の自分を一言で表すなら、「好きなことなら寝る間も惜しまない人」でした。
もっと正確に言うなら、寝る間を削っている自覚すらないくらい、没頭していたという感じです。
気付いたら夜で、気付いたら朝で、気付いたらまた水の中にいました
時間を使っていたというより、時間に使われていたのかもしれません。

水球を始めたのは中学二年生の頃です。
当時は競泳をやっていました。
そこから個人で完結する競技よりも、誰かと一緒に勝ちたい。そう思って監督に相談したのがきっかけです。
「ガタイもいいし、水球やってみたら?」
その一言で飛び込んだ世界が、結果的に自分の人生を大きく泳がせることになりました。

初めてやってみた水球は、とにかく面白かったです。
水の中では立場もポジションもはっきりします。自分の役割が明確で、その役割を全うすることでチームが前に進む。
ワイワイした雰囲気も、試合中の一体感も、自分には合っていました。
個人競技からチーム競技に変えたつもりが、気付けば「自分の居場所」を手に入れていた、そんな感覚でした。

高校では、県内で一番強い高校と、二番目に強い高校から声をかけていただきました。
どちらに進むか悩みましたが、選んだのは二番目の高校です。
理由はシンプルで、家が近かったからです(笑)。
ただ、それだけではなく進学校だったこともあり、「競技も勉強も、どちらも中途半端にはしたくない」という気持ちもありました。
勝つことだけが正解ではないと思っていましたし、遠回りでも、自分で納得できる選択をしたかったのだと思います。

結果として、高校の水球では県大会2位という成績でしたが、県代表、国体選手、U-17日本代表に選出していただきました。
福岡県代表として全国大会にも出場する予定でしたが、コロナの影響で大会自体が中止になりました。
あのときは悔しかったです。
ただ今振り返ると、結果が消えても、積み上げたものまでは消えないという感覚を、あの経験から学べた気がしています。

大学に進学してからも水球を続け、大学二年生でレギュラーに定着し、一部リーグ全国4位を経験しました。
三年生、四年生では全国ベスト8。
数字だけ見ると順調に見えるかもしれませんが、実際は「楽な時期」は一瞬もなかったです。

大学では、競泳部と水球部合わせて約80人が住む寮で寮長も務めました。
朝練の導入、朝掃除、門限管理。寮内で起こることはすべて自分の責任です。
理不尽だと感じる場面も正直ありましたが、理不尽を避けるより、理不尽に耐えられる方が強いと、この頃に腹落ちしました。
もっとも、寮生は本当に良い人たちばかりで、自分が寮長のときに大きな問題が起きることはほとんどありませんでした。

練習は、はっきり言って地獄でした。
夏から冬にかけては延々と基礎練習。春から夏は、言葉通りの地獄です。
朝6時から練習し、授業が終わってから21時までまた練習。
地上にいる時間より、水の上に浮かんでいる時間の方が長かったと思います。
ただ不思議なことに、辞めたいと思ったことはほとんどありませんでした。
逃げ場がなかったのではなく、逃げる理由がなかったからだと思います。

振り返ると、学生時代の自分は水球をしていたというより、水球の中で生きていました。
そしてその水の中で、体力だけでなく、責任の取り方やチームで結果を出す覚悟を学んだのだと思っています。

安定志向だった就職活動

就職活動を本格的に始めたのは、大学三年生の冬頃でした。
「始めた」というより、「参加した」という表現の方が近いかもしれません。
エントリーシートを出して、落ちて、また出す。その繰り返しです。
正直に言うと、その頃の自分は就活に本気ではありませんでした
理由は単純で、どこを目指しているのか自分でも分かっていなかったからです。

当時の志向は、いわゆる大手志向でした。
「大手」「安定」「一つの会社で定年まで」
今思えば、会社を選んでいたつもりで、肩書きを選んでいたのだと思います。
ネームバリューがあれば安心できる。そう信じていました。
就活の軸と呼べるものがあるとすれば、それは「名前」だけでした。
中身を見る前に、表紙で判断していたような感覚です。

当然、結果は伴いませんでした。
エントリーシートは落ち続けましたし、落ちるたびに「まあ仕方ないか」と思っていました。
悔しさがないわけではありません。ただ、本気じゃないものに本気で落ち込めないというのが正直なところでした。

転機が訪れたのは、大学四年生の四月です。
人材業界の企業をたまたま見たとき、「なんか面白そうだな」と直感的に感じました。
それまで「安定」を探していたはずなのに、気づけば「成長」という言葉に目が留まっていました。
この瞬間から、就活の軸がはっきりと変わり始めます。

「自分のためになる会社か」
「風通しは良いか」
「困ったときに、すぐ相談できる距離感か」
「人と本気で向き合う仕事か」

今まで外に向いていた目が、初めて内側に向いた感覚でした。
企業を選ぶというより、自分の使い方を考え始めた、そんなタイミングだったと思います。

そこからは、就活に対する姿勢も一変しました。
企業研究も、面接も、全部が「勝ち負け」ではなく「相性」を測る場に変わりました。
勝つための面接ではなく、続けられるかどうかの面接です。
この頃から、就活が少しだけ楽しくなりました。
楽しいというより、腹をくくれたという表現の方が正しいかもしれません。

そんな中、他の企業で最終選考が見え始めた頃に、TSACEと出会いました。
普通なら「もう決まりそうだから」と流してしまいそうなタイミングです。
それでも惹かれたのは、話を聞いた瞬間に感じた距離の近さでした。
会社と人の間に、無駄な壁がない。
評価より会話、肩書きより中身。
それが、言葉ではなく空気で伝わってきました。

就活を通して内定を取りに行ったつもりでしたが、
振り返ると、実際に取りに行っていたのは「どんな自分で働きたいか」という答えでした。
そしてその答えに、一番近い場所がTSACEだったのだと思います。

”向き合い方”や”想い”を見られていた

TSACEの説明会に参加したとき、最初に感じたのは「距離の近さ」でした。
物理的な話ではありません。心の話です。
社長や人事の方の言葉が、こちらに向かって真っ直ぐ飛んできていました。
社員同士が仲が良さそうで、何より楽しそうに仕事の話をしている。
「楽しそう」というより、「楽しんでいるふりをしていない」と感じました。
この時点で、すでに心は少し動いていたのだと思います。

二次面接では、模擬提案という名の実践が待っていました。
私はヘッドホンを必死に提案しました。
音質、装着感、没入感。
頭も口もフル回転でプレゼンしました。
しかし返ってきた一言は、
「それ、ワイヤレスよりも良い理由は何ですか?」
でした。

一瞬で終わりました。
提案も、理屈も、勢いも。
正直、撃沈でした。
ただ今思えば、商品が否定されたのではなく、視点が試されていたのだと思います。

その後のフィードバックで、営業について多くのことを教えていただきました。
話し方ではなく、聞き方。
売り方ではなく、捉え方。
営業は押すものではなく、合わせるものだということ。
その説明がとにかく楽しそうで、熱がありました。
「営業は奥が深くて、だから面白い」
その言葉が、理屈ではなく温度で伝わってきました。
こんなふうに営業の話をする人たちと働いてみたい。
その気持ちは、気づけば確信に近づいていました。

最終面接は、社長との対面でした。
当日は急な雨で、スーツはびしょびしょでした。
身なりは整っていませんでしたが、背筋だけは伸ばして臨みました。
面接というより、雑談に近い時間でした。
これまでの半生や、どんなふうに生きてきたのか。
質問に答えているうちに、自然と自分の言葉が出ていました。

後から振り返ると、あれは雑談ではなかったのだと思います。
雑談の形をした面接で、面接というより人間を見られていた時間でした(笑)。
答えの中身よりも、答え方。
話の正確さよりも、一貫性。
評価されていたのは、言葉より姿勢だった気がします。

その後、働く現場を見せていただきました。
オフィスはワイワイしていて、正直少し圧倒されました。
ただ印象的だったのは、すれ違うたびに学生の私にも自然に頭を下げて挨拶してくれたことです。
小さくて当たり前のことかもしれません。
ですが、その当たり前が会社の空気として息をしていると感じました。

一撃で心を掴まれたわけではありません。
派手な演出があったわけでもありません。
ただ、説明会、面接、現場。
その一つひとつの積み重ねで、
TSACEへの志望度は静かに、確実に積み上がっていきました。

挑戦を後押ししてくれる空気が、言葉ではなく景色で伝わってきました。
ここなら、結果も失敗も、全部自分のものになる。
そう思えたことが、何より大きかったです。

「仕事が楽しそうでうらやましいわ」

実際に入社してからの4月から8月は、正直に言うと、無力感との並走でした。
できないことの方が多く、自分の足りなさが毎日浮き彫りになる。
ただその一方で、昨日できなかったことが今日できるようになる。
できることが増えるたびに、悔しさの質が変わっていきました。
量ではなく、深さに変わっていったのだと思います。

メンターのように近くで支えてくださる上司がいて、良い意味で距離が近く、悪い意味で放っておいてくれません。
細かくタッチしてくれる分、頭がパンクしそうになる瞬間もありました。
それでもパニックになる前に、必ず声をかけてくれる。
「大丈夫か」ではなく、「今どこで詰まってるか」。
この違いが、前に進める理由でした。

初めて成約が取れた日は、今でもはっきり覚えています。
数字以上に、チーム全体で喜んでくれたことが嬉しかった。
高級焼肉に連れて行ってもらったこともそうですが、
それ以上に「一人の成果じゃない」と言われたことが残っています。
この会社では、成果は個人のものですが、喜びは共有されます。

9月から12月。
数字だけを見れば、爆発しているわけではありません。
ただ、こけている感覚もありません。
安定的に数字は積み上がっている。
それでも、自分が納得できるかと言われたら、まだ足りない。
この「足りない」という感覚が、今は心地良いです。

少しずつですが、自分の売り方が見えてきました。
知識も、経験も、積み重なってきています。
法人理解を深め、関係性をつくり、ギャップをゼロに戻すところから話を始める。
ゼロベースとは、何もない状態ではなく、思い込みを置いてくる場所だと学びました。

求職者の方に対しては、ズレが生じないよう細心の注意を払っています。
話しやすさと丁寧さ。その先にあるのは、信頼関係です。
その結果として、早期離職は一度も出ていません。
これは偶然ではなく、姿勢の結果だと思っています。
求職者ファーストという言葉は簡単ですが、本当に守ろうとすると、かなり不器用になります。
それでも、このやり方を崩す気はありません。

新卒売上ランキングも、気にしていないわけではありません。
ただ今は、順位よりも自分と向き合うことを優先しています。
勝つために戦う前に、戦い方を磨く。
遠回りに見えて、一番近い道だと信じています。

9月からは学生時代の友人たちと会う機会が増えました。
飲みの席で近況を聞き合うと、だいたい話題は仕事になります。
残業がどうとか、上司がどうとか、月曜が来るのが憂鬱だとか。
そんな話を周りがしている中で私だけ違う話をしていたようで、

「お前さ、なんでそんな楽しそうなん?」
何人かに、ほぼ同じ言い方で聞かれました。
自分では普通に話しているつもりでしたが、どうやら仕事の話になると、声のトーンが一段上がっているようです。

中には、こんなことを言われたこともあります。
「同じ新卒なのに、なんか一段上の世界にいる感じするわ」
その言葉を聞いたとき、少しだけ間が空きました。
上にいるつもりは一切ありません。
ただ、向いている方向が違うだけです。
止まらないために働いている人と、進むために働いている人の差。
その差が、数ヶ月で表情に出るのだと知りました。

特に何かを誇れるほど、数字が突出しているわけでもありません。
楽な仕事をしているわけでもありません。
むしろ、しんどいことの方が多いです。
それでも、朝起きるのが苦にならない。
今日どんな壁にぶつかるかを考えている自分がいる。
この感覚を、友人たちは「羨ましい」と言いました。

その一言で腑に落ちました。
自分が今得ているのは、年収でも、肩書きでもなく、仕事を楽しめているという状態そのものなのだと。

TSACEに入ってから、「勝つこと」よりも「積み上げること」に価値を置くようになりました。
その結果として、胸を張って仕事の話ができるようになった。
それが一番の変化です。

もし、友人と飲みに行った時、
「お前、なんか楽しそうだな」と言われたいなら。
その理由を、ちゃんと説明できる社会人になりたいなら。

この会社は、かなり良いスタートラインになると思います。
少なくとも僕は、ここで過ごした時間を羨ましがられる側の人生に変えつつあります。