24時間のバイトリレーで年収300万円を超えるバイト戦士に!
学生時代は何をやってましたか?
中学から高校まではずっとサッカー一筋でした。
何も考えず、ただ走って、蹴って、叫んで。
しかし、その“何も考えず”が招いたのか、高校で大きなケガをしてしまい、サッカー人生には突然幕が下りました。
正直、最初は「じゃあ自分に何が残るんだ」と思いました。
サッカーでしか自分を語れなかったし、努力の仕方だってサッカーを通じてしか知らなかったからです。
でも、大学進学を機に出会ったのが「アメリカンフットボール」でした。
アメフトというスポーツは、大学から始める人が多く、スタートラインが比較的横並びの競技です。
「これならまだ努力で戦えるかもしれない」と思い、迷う暇もなくアメフト部の門を叩きました。
ポジションはフルバック。いわゆる“体を張る仕事”で、味方のために突っ込んで、相手にぶつかって、何度も吹っ飛ばされて、時には宙を舞うようなポジションです。そのポジションで、1年目から試合に絡むことができました。
ですが、アメフトのフィールドに立てていたのは、わずか1年半ほどでした。
大学2年の後半、僕は部活をやめる決断をしました。
理由は明確で、「お金がなかった」からです。学費、生活費、すべてを自分で稼がないといけない環境でした。
夢や情熱も大事ですが、現実はもっと切実だったのです。
そこから僕の生活は、いわば「バイト生活フルコンボ」です。
昼はデリバリー、夕方からは居酒屋、そして深夜は警備員。時には24時間バイトリレーの日々でした。
「体が資本」とは言いますが、12時間労働×14連勤のときは、さすがに“資本”が崩壊しかけました(笑)。
それでも止まれなかったです。年間250万円、自力で稼がないと学費が払えなかったからです。
ただ、そんな環境の中でも「ただ生きるだけ」にはならなかったのが自分でも不思議なところです。
将来を見据えて、教員免許の取得も同時に目指していました。
バイトの合間、カフェで数時間寝落ちしそうになりながらも、空いた時間を見つけてはテキストを開き、オンライン講義に出席し、レポートを仕上げ…。
気がつけば大学3〜4年生の頃には、年収300万円を超えるバイト戦士と化しつつも、教育実習にも抜け目なく取り組んでいました。
そんな自分を、今では「時給で磨かれたメンタルモンスター」と密かに呼んでいます。(笑)
どんなに疲れていても、自分で決めたことをやり切る。そんな“強さ”が、この過酷な毎日を通じて自然と身についていったのだと思います。
ちなみに、バイトの種類は両手では数えきれないほど経験しました。
お客さんのグラスが空いたら“1秒で”駆けつける居酒屋接客、
ピザ1枚に命を懸けて配達するデリバリー、
静寂と緊張感の中で不審者を見張る深夜警備…。
それぞれの現場で求められるスキルは違いましたが、共通していたのは「人との向き合い方」でした。
人の気持ちを読むこと、声のトーン、表情、しぐさから感情を読み取って、それに応じた対応をする。
これは、マニュアルでは教わらなかったけど、実務の中で自然と体に染みついた力です。
そして、どれだけ厳しい状況でも「仕事を投げ出さない」という覚悟が身につきました。
正直なところ、今振り返れば、もっと大学生らしい生活を送ることもできたかもしれません。
それでも、この時給と根性で駆け抜けた4年間があったからこそ、どんな環境でも踏ん張れる自分がいると信じています。
「やりたいことに全力で挑む」だけが青春じゃない。
「やらなきゃいけないことに正面から向き合う」ことも、立派な青春だと僕は思っています。
学生時代、僕が身に着けたスキルは“Excel”や“Python”ではないかもしれません。
でも、どんな環境でも折れず、適応して、地道にやり抜く力なら、誰にも負けないと思っています。
「自分にできることを、自分にしかできないレベルでやりきる」
それが、社会に出る前の僕の信念であり、今の営業という仕事にもつながっていると感じています。

就職活動について教えてください。
もともと僕は、大学に入学した時点で「生徒指導の先生になる」という明確な目標を持っていました。
教師という職業に憧れていたというより、「大人として本気で向き合ってくれる存在」へのリスペクトが強くて、自分もそんな大人になりたいと強く思っていました。
その思いは本物だったと思いますし、実際に教育実習に参加して、生徒の前で授業も担当しました。
ただ、その“授業中の一言”が、自分の価値観を大きく変えるきっかけになりました。
「社会に出たら~」と語っていたとき、生徒たちの顔を見てふと、こう思いました。
「……自分、社会出たことないのに、何言ってるんだろう?」
この瞬間、胸の奥に違和感が走りました。
社会を知らないまま社会を語る。果たしてそんな人間に、生徒たちは心から納得して耳を傾けてくれるのか?
「説得力のない教師にはなりたくない」
そう思った僕は、一度教員という進路から離れ、「社会を知る」というテーマで就活に踏み出すことにしました。
そこからの軸は、とにかく「きついところ」「厳しい環境」で成長すること。
だからこそ、最初から営業職に絞って企業を見ていきました。
完全実力主義で、自分の行動が成果に直結する。そんなシンプルでストレートな世界に身を置きたいと考えました。
もちろん、ただ厳しいだけの会社ではなく、熱量高く、全員が本気で働いているような会社です。
「人事がパワフルな会社」も、僕の中では重要なキーワードでした。
いくつかの営業会社──保険、不動産、広告、など3〜4社の説明会に参加しながら比較検討していた頃、出会ったのがTSACEでした。
正直、TSACEの説明会は衝撃的でした。
最初に登場した人事の方が、とにかくパワフル。話し方もテンポも熱量も“熱さ100%フルスロットル”。
こんなにエネルギッシュな人事がいるのか…と、開始10分で目が覚めました。
そのあと登壇された社長の座談会は、さらに衝撃でした。
「結果を出せない人はいらない」「仕事は誰かに選ばれる側で終わるな」
──耳が痛いくらい、本音でストレートでした。
でも、この“直球ど真ん中の言葉”が、なぜか自分の中にスッと入ってきました。
「あ、この会社はごまかしが効かない。だからこそ、信頼できる」
そんな感覚を、説明会の時点で持ったことをよく覚えています。
エントリーしてからも、パワフル人事の方がこまめに連絡をくださり、安心感もありました。
1次面接では、とにかく「頑張ります!」と熱量を押し出しまくって話したのですが……後から思い返すと、面接官の方にはあまり刺さっていなかったかもしれません(笑)。
でも、その「頑張る」という漠然とした想いを、社員面談でしっかり言語化する時間をいただきました。
「何をどう頑張ってきたのか」「今後どんな風に頑張るのか」
一緒に深掘りしていただいたことで、自分自身の輪郭が明確になっていった感覚がありました。
2次面接では、高校までのサッカーの話と、社会人としての覚悟を思い切り伝えました。
根性論と熱量ベースで押し切るような内容でしたが、「勉強もスポーツも1番にはなったことない。でも、諦めずにやり切ることはできる」
今思えば、なかなか雑な主張だったかもしれませんが、当時の僕なりの全力でした。
最終面接では、社長から“会社の裏側”も含めた、かなりリアルな話をしていただきました。
・従業員に飯を食わせる責任
・会社経営におけるプレッシャー
・「甘さ」が許されない世界の厳しさ
決して“きれいごと”ではなく、むしろ「ここまで話してくれるのか」と驚くほどに、包み隠さず語ってくださったのが印象的でした。
僕が話す熱量の倍、いや、10倍の熱量で返してくださる姿に、気づけば「ここしかない」と感じていた自分がいました。
最初の“教師”という夢からは離れました。
でも、誰かの人生に真っ直ぐに向き合い、背中を押せる存在になるという意味では、TSACEの仕事も、同じくらい意義があると感じています。
入社して1年どうでしたか?
入社してからの1年を振り返ると、とにかく「誰よりも動く」ことにこだわっていた前半と、「効率」と「型」を身につけるためにもがき続けた後半の、二部構成だったと思います。
4月から10月までの前半は、ただひたすら“行動量”。
行動量で負けるのだけは絶対に嫌で、気合と根性でガムシャラに営業していました。今振り返ると非効率な営業スタイルでしたが、やり方を変えることが怖くて、なかなか方向転換ができませんでした。
それでも、毎月成約はなんとか継続できていて、数字だけ見れば周りより順調な方だったかもしれません。
ただ、11月を迎えたあたりで、後輩が入社してくる時期が近づき、このままでは“根性だけの先輩”になるという危機感が芽生えました。
そこからは一転、これまでどこか敵対視していた東京の先輩たちに思い切って連絡を取り、営業手法やトーク、考え方などを必死に学ばせていただきました。
最初は正直、やり方が違いすぎてなかなか入ってこなかったし、3ヶ月ほど数字は低迷しました。でも、先輩たちは嫌な顔ひとつせず、細かくフィードバックをくださり、わざわざ大阪まで足を運んで直接教えてくれることもありました。本当にありがたかったです。
最近では、ようやく営業のやり方に自分なりの手応えを持てるようになってきていて、数字も安定して伸びています。後輩にも自信をもって背中を見せられるようになってきたのは、ここまで支えてくださった周囲の方々のおかげです。
そしてもう一つ、この1年で大きかったのが社長との距離感です。最初の頃は特別な接点があったわけではありませんでしたが、9月頃から少しずつ距離が近くなってきて、ランチや釣りに誘っていただいたり、プライベートでも交流の機会をいただけるようになりました。
今では調子が悪い時にはチャットでのやり取りだけでなく、直接アドバイスや叱咤激励をいただけるようになり、営業トークに違和感があれば即座に修正をいただける環境で日々勉強させていただいています。
厳しいこともストレートに言われますが、裏表がなく、嘘をつかない社長だからこそ、その言葉には信頼と重みがあって、まっすぐ心に響きます。
実際に、スランプ明けに久しぶりに成約が決まった際、たった5分後に「おめでとう!」と社長から言われたときは、ちゃんと見てくれているんだなと感じ、心から嬉しかったです。
この1年、確かに楽ではありませんでした。でも、支えてくれる仲間がいて、真正面から向き合ってくれる社長がいて、だからこそ“逃げなかった自分”を今は少し誇りに思えています。
新社会人へメッセージ
この1年を通して強く実感したのは、「素直さ」が社会人としての成長において、何よりも大切だということです。自分の非や至らない点に気づいた時、言い訳せずにすぐ受け入れて、行動に移せるかどうか。これが、周囲との差を生む分かれ道だと思います。
先輩からのアドバイスは、経験に裏打ちされたものが多く、最終的に「やっぱり正しかった」と思うことばかりです。だからこそ、変なプライドや薄っぺらい自信は一度手放して、まずは全力で食らいついてみてほしいです。
TSACEには、できるまで寄り添ってくれる先輩や上司が本当に多いです。私自身も、そんな先輩たちに支えられてきましたし、今度は自分が後輩にとって“頼れる存在”になれるように努力しています。
不安なことがあるのは当たり前。でも、安心してください。TSACEには「一人にしない文化」が根付いています。わからないことはどんどん頼って、一緒に壁を越えていきましょう。
あなたの挑戦を、全力で応援しています。