情報系学部の私がIT業界志望から人材業界へ!

学生時代は何をやってましたか?

学生時代を振り返ると、常に「目の前のことに全力で向き合ってきた」人生だったように思います。派手なエピソードはないかもしれませんが、どの経験も私の中では大切な軸になっています。

中学時代はソフトテニス部に所属していて、毎日のように練習に明け暮れていました。正直に言えば、ずっと順風満帆だったわけではありません。1年生から2年の序盤までは、なかなか思うような成績を残せず、レギュラーにも選ばれず、同期に差をつけられて悔しい思いをすることも多かったです。
それでも、モチベーションを保ちながら続けられた理由は、部内で定期的に開催されるランキング戦の存在でした。定期的に実力を数字で測れる場があったことで、「次こそは」「自分にもチャンスがある」と思えて、地道に努力し続けることができました。
夏頃から徐々に順位も上がっていき、3年生が引退して新チームになったタイミングで、ようやく団体戦メンバーに選ばれました。その団体戦では、大阪府大会で2位という結果を出すことができ、あのときの達成感は今でも心に残っています。「腐らずにやってきてよかった」──そう思えた瞬間でした。

高校では、それまでの部活とはガラッと変わって、軽音楽部に入りました。理由はとても単純で、「バンドを組んで、キラキラした高校生活を送りたい」と思ったからです。正直、テニスで泥臭くやってきた反動かもしれません(笑)。
ピアノの経験があったので、バンドではキーボードを担当していました。
軽音楽部には、同級生の女の子に誘われて入部したのですが、実際に始めてみると想像以上に大変でした。YOASOBIやあいみょん、SUMIKAなどのコピーを演奏する中で、「軽音=チャラい」というイメージは一瞬で吹き飛びました。ステージで輝くためには、個人練習の積み重ねが欠かせませんでしたし、人前で演奏することへの恐怖心を克服するために何度も失敗も経験しました。
それでも、努力を続けることで、少しずつ自信がつき、「人前で何かをやるのが怖くない自分」に変わっていった気がします。振り返ってみると、この軽音での経験が、今の「一歩引いてしまいがちな自分」を少しずつ前に押し出してくれるきっかけになったように思います。

大学時代は、コロナ禍ということもあって、なかなか思うように部活動やサークルに参加できず、最初は空白のような日々が続きました。それでも、2年のときに学友会(いわゆる生徒会のようなもの)に入り、ようやく自分のやりがいを見つけることができました。
中でも特に印象に残っているのは、献血イベントの運営活動です。目標は100人の献血者を集めること。SNSだけでは足りないと思い、自ら飲食店へビラを配りに行き、授業前に教室で告知を行い、当日も駅の前で登下校中の学生に声をかけ続けました。結果、130人以上の方にご協力いただくことができました。
ただ、実際に献血できる方は、年齢や体調、検査項目などの関係で絞られてしまい、最終的に献血できた人数は96人。あと少しで目標に届かず、ものすごく悔しかったのを覚えています。結果的には大成功と呼べるイベントでしたが、「どうすればあと4人に届けられたか」を何度も振り返りました。だからこそ、「行動量と改善の積み重ね」が何よりも大切なんだと、この経験から実感しました。
私はどちらかといえば、器用なタイプではありません。でも、負けず嫌いで、コツコツと努力し続けることだけは誰にも負けないと思っています。結果が出なくても、腐らずに粘って、最後にはしっかり成果を出す。学生時代のこの“愚直な積み重ね”が、これからの社会人生活でもきっと強みになってくれると信じています。

 

 

就職活動について教えてください。

就活を始めた当初、私は情報系の学部に在籍していたこともあり、自然とIT業界を中心に企業を見ていました。特にWebサイト構築やシステム開発に興味があり、システムエンジニア(SE)としていくつかの企業で選考に進んでいました。将来のキャリアも、エンジニア一本で描いていたほどです。
ですが、エージェントの方と相談を重ねるうちに、SEという職業の評価制度の不透明さや労働環境に対する懸念の声を多く耳にするようになり、次第に不安が大きくなっていきました。さらに、「この仕事を一生続けていけるのか?」と考えたとき、自分の中で明確にYESとは言い切れなくなっていました。
そんなタイミングで、これまで就活を通じて何度も相談に乗ってくださったキャリアアドバイザーの方の存在が、より大きく、そして魅力的に映るようになってきたんです。「自分も、こんな風に誰かの人生に寄り添って、キャリアの選択肢を広げられる人になりたい」──そう思うようになり、人材紹介業界に絞って再スタートを切りました。
ITエンジニアという道を諦めたのが大学3年の11月頃。それからは、約30社以上の人材会社に応募しました。おかげさまで比較的選考には進みやすく、最終的には5社から内定をいただくことができました。

そんな中で出会ったのが、TSACEです。実はTSACEはエージェント経由ではなく、逆求人型のスカウト媒体からオファーをいただいたのがきっかけでした。そのスカウト文章が、いわゆるテンプレではなく、私のプロフィールをきちんと読み込んだ上で書かれていて、「この企業は本気で見てくれている」と、初対面ながら感じたのを覚えています。
そして迎えた説明会。まず人事の方の説明がとにかく情熱的で、事業や会社のことをすごくわかりやすく、熱を持って語ってくださるんです。正直、これまでいくつか企業説明を受けてきましたが、TSACEほど“自社愛”を本気で伝えてくれた人事の方は他にいませんでした。
さらに衝撃を受けたのは、社長の登壇でした。「業界NO1の景色を、また新しいメンバーと一緒に見たい」と真っ直ぐに語られる姿に、ぐっと引き込まれました。裏表のない発言、肩書きを越えて学生と向き合うスタンスに、「この人のもとでなら、自分も本気で成長できる」と直感的に思いました。
気になって社長のSNSを見てみたら、なんと毎回すべての説明会に登壇されていたんです。激務の中でも、学生一人ひとりに全力で向き合おうとする姿勢が本当に印象的で、ますます志望度が高まりました。

1次選考では、明るくフランクな雰囲気で面接が進み、波長が合ったというか、TSACEらしさを強く感じられました。「こういう人たちと働けたら楽しいだろうな」と思わせてくれる面接でした。
社員面談では、リアルな働き方やギャップについても率直に教えていただきました。「テレアポは想像以上に多いけど、だらだらやるのではなく、時間を区切って集中する」といったお話は、実際の業務イメージがつかみやすく、逆に安心材料になりました。
2次面接では、営業としての在り方や覚悟についても深く教えていただきました。ロープレでは正直ボロボロで、ニーズを拾いきれず、見開き1ページ分のフィードバックをいただきました。そこまで細かく、そして親身に教えていただけたことで、「この会社は育てる気がある」と確信できました。

そして迎えた最終面接。真っ白な部屋で社長との面接が始まり、緊張で頭も真っ白に(笑)。あまりうまく話せた記憶はないのですが、「何か質問ある?」と聞かれたとき、「このままでは落ちる」と感じ、一度時間をいただいて、「絶対に諦めないこと」「逃げないこと」「誰よりも愚直にやること」──自分の覚悟を必死に伝えました。
この時、自分の想いを“言葉”にして伝えられたことが、私の中では本当に大きかったです。落ちたかもしれないと帰り道で落ち込んでいたら、まさかの合格通知。本気で嬉しかったし、「ここで働けるチャンスを絶対に無駄にしたくない」と強く思いました。

インターンと入社式はどうでしたか?

私がTSACEでインターンを始めたのは大学4年の8月でした。最初は、法人営業の資料作成や、キャリアアドバイザーの方々のサポート業務を担当させていただいていました。とにかく印象的だったのは、先輩方が本当に丁寧に接してくれたこと。どんなに些細なことでも真剣に教えてくれるし、気にかけて声をかけてくれるその姿勢に、TSACEの“人の温かさ”を実感しました。
自然とコミュニケーションが増え、気づけばインターンの段階から先輩とも同期とも仲良くなっていて、入社式を迎えたときには緊張というより、むしろ「楽しみ」の感情の方が大きかったです。初日からリラックスして臨めたのは、このインターン期間があったからだと心から思っています。
そして現在、私は大阪の栄養士紹介事業部に配属されています。インターン時代は介護領域のサポートをしていたので、栄養士に関する知識はゼロからのスタート。最初は正直不安もありましたが、毎日新しい情報に触れ、知識が少しずつ定着していく感覚が今はすごく楽しいです。
業界理解、業務の流れ、顧客との向き合い方――すべてが新鮮で学びの連続ですが、早く戦力としてチームに貢献できるように、今はひたすら吸収するフェーズだと捉えています。

目標は、この大阪栄養士事業部で売上トップ3に入ること。まだまだスタートラインに立ったばかりですが、TSACEでなら本気で目指せる環境があると確信しています。ここから自分の色を出しながら、しっかり結果を出していきたいです。