驚きのIQ138!アメフト中に脳震盪で一時は意識不明に?

学生時代は何をやってましたか?
私の原点には、常に「1番を目指す」という信念がありました。
中学時代は陸上競技に没頭し、朝から晩までグラウンドに立ち続ける毎日。フォームやスタートの研究、靴選びに至るまで、自分を高めるための努力を惜しみませんでした。まさに、誰よりも靴をすり減らした自負があります(笑)。
その成果として、最後の大会では兵庫県1位を獲得し、念願の全国大会出場を果たしました。しかし全国の壁は厚く、悔しさだけが残る結果に。
「次こそは全国1位に」——その想いを胸に、高校でも陸上部へ進みました。
ところが、高校ではスランプに直面。中学時代の自己ベストさえ超えられない日々が続きました。ここで初めて「努力だけでは越えられない壁がある」と痛感し、量より質を追求する練習スタイルへと切り替えました。結果、高校2年の終盤には全国ランキング30位以内に復帰。手応えを感じていた矢先、コロナ禍で全国大会が中止に。大学のスポーツ推薦も白紙となり、一転して受験勉強に舵を切ることに。机に向かう生活は久々で、正直、かなりきつかったです(笑)。
そんなとき、陸上部の監督が紹介してくれたのが、アメリカンフットボール強豪大学のリクルーターでした。未経験の競技ではありましたが、「全国トップレベルの環境でもう一度、自分の限界に挑戦したい」と思い、スポーツ推薦でその大学に進学を決めました。
想像以上に厳しいトレーニング、丸太を担いで山を登るような“令和離れ”した合宿メニューにも懸命に食らいつきました。3年まではスタメン入りは叶いませんでしたが、ここぞの場面でのタッチダウン要員として、確実に役割を果たしました。
そして、3年次にはチームが全国優勝。見事6連覇を達成しました。
しかし4年生で迎えた主力シーズン、私はオフェンスリーダーに立候補した直後、3度目の脳震盪を起こし、選手生命を絶たれます。チームの規定により、3度目の脳震盪経験者は出場停止。努力が一瞬で無に帰すような出来事でした。
それでも、チームの未来と、自分の「やりきった姿」を家族に見せたいという思いで、後輩の指導や裏方の仕事に徹しました。最終大会では7連覇は叶わなかったものの、最後までチームの一員として役割を全うできたことに、悔しさと同時に誇りを感じています。

就職活動について教えてください。
就職活動でも、私の軸は変わりませんでした。
「1位を目指せる環境かどうか」——それが企業選びの最大の基準でした。
裁量権があり、成果で勝負できる環境で、自分の限界を突き破りたい。その思いから、人材業界を志望し、まずは業界トップの企業にエントリー。しかし結果は一次面接で不合格。正直、ショックでした。ただそれ以上に、「こんなにもあっさりトップ企業の道が閉ざされるのか」という驚きが大きかったです。
その経験を経て、「1位の企業に入れないなら、1位を超えていく会社に行こう」と気持ちを切り替えました。
そんな時、SNSで偶然出会ったのが、TSACE代表・竹之下さんの投稿。
「若いうちの時間は一瞬であり、一生ものになる。だからこそ、多くの経験を詰め込める環境で働くべきだ」
この言葉に心を撃たれ、即座に説明会へ申し込みました。
座談会では、代表が登壇し「最速で1位をぶち抜く」と明言。求める人材について問われた際には、「結果を出せる人」と即答されました。本音で語る姿に、心が震えたのを今でも覚えています。
また社員面談では、「TSACEでは3年間でどこでも通用する営業力が身に付く」と聞き、スタートアップならではの0→1、1→100両方を経験できる環境に、強く惹かれました。独立志向を持つ私にとって、理想的な成長環境だと確信し、入社を決意しました。
意気込みを教えてください!
私はこれまで、何度も「あと一歩で1位を逃す」経験をしてきました。だからこそ、TSACEでは、もう二度と「あと一歩」で終わりたくありません。
まずは新人賞獲得を目指し、誰よりも速く、誰よりも多く、そして誰よりも丁寧に行動を積み重ねていきます。
スタートダッシュの重要性は、スポーツで嫌というほど学びました。最初の一歩から加速し、トップに立つ覚悟はできています。
竹之下代表の「結果を出せる人とは、継続して努力できる人」という言葉の通り、継続力こそが実力だと信じています。継続の土台には、忍耐と覚悟が必要です。私はその両方を、自らのスポーツ人生で培ってきました。
その経験を武器に、圧倒的な成果を残し、必ず新卒1位を獲得します。
そして、3年間で「どこへ行っても通用する営業マン」へと進化してみせます。
諸先輩方、どうぞご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!
