学生時代は何をやってましたか?
3歳の頃から競技水泳を始め、現在に至るまで水の中での挑戦を続けてきました。本格的に練習に打ち込むようになったのは小学校2〜3年生の頃。自由形とバタフライを軸に、日々水と向き合う毎日が始まりました。4年生になる頃には全国大会に出場する機会も増え、気づけば地上での生活と水中での時間がほぼ半々の生活に(笑)。それほどまでに、水泳は私の生活の中心でした。
中学生になると、「全国1位」という目標を胸に、ライバルたちとの競争が本格化しました。1年生の頃から全国大会の舞台に立っていましたが、顔ぶれは毎年ほぼ同じ。常に決まった強敵たちと切磋琢磨するなかで、彼らを目標とすることで自らを高めていきました。結果は全国2位。優勝には惜しくも届かず、その悔しさは今も忘れられません。しかも3年間で毎年優勝者が変わったため、常に僅差の戦いだったのです。この悔しさが、「高校では絶対に1位になる」という強い覚悟へとつながりました。
高校でも水泳を続けましたが、全国大会の舞台では中学時代と打って変わって、新たな競合たちとの戦いが待っていました。生き残りの厳しさ、そして結果を出し続ける難しさを実感する毎日。その中でも全力を尽くし、インターハイでは再び全国2位を獲得。悔しさはありましたが、「また2位か…」と笑ってしまう自分もいました(笑)。
そんなある日、コーチから「ちょっと来てくれるか?」と呼ばれ、面談室へ。神妙な面持ちのコーチから伝えられたのは、まさかの言葉——「ジュニアオリンピックの出場資格を得た」。驚きと喜びが一気に押し寄せてきました。がむしゃらに努力していた結果、いつの間にか標準記録を突破していたのです。
ジュニアオリンピックに向けた練習は想像を超えるもので、これまでの1.5倍の強度のメニューに取り組みました。そして迎えた大会当日。極限の緊張感の中、予選・準決勝と順調に勝ち進み、ついに決勝の舞台へ。ベストな泳ぎでゴールした瞬間、結果を確認すると——またしても「2位」。過去最高の泳ぎだっただけに、悔しさもひとしおでした。ただ、全国の頂点に常に手が届く位置にいられたという自負は、私の中で確かな誇りとなっています。そして「大学こそは1位を獲る」という決意を胸に、高校水泳を締めくくりました。
大学でも変わらず水泳中心の生活を送りました。正直なところ、服よりも競泳パンツを身に着けている時間の方が長かったかもしれません(笑)。しかし大学では大きな転機がありました。それは、オリンピック選手たちと同じ環境で練習する機会に恵まれたことです。練習強度も、意識の高さも、自分がこれまで経験してきた世界とは次元が違いました。「これでは勝てない」と感じたのと同時に、自分が「努力したつもり」でいたことにも気づかされました。
それでも私は落ち込むよりも、「負けたくない」「肩を並べたい」という想いが勝りました。厳しい環境の中でも前向きでいられたのは、水泳という競技を心から愛していたからだと思います。結果的には全国5〜15位という順位を行き来する形になりましたが、自分自身の限界と本気で向き合えた時間でした。「社会人では必ず1位を獲る」——そんな想いを胸に、競技人生にピリオドを打ちました。
就職活動について教えてください。
内定承諾後のキャリアビジョンの変化は?