志望度3~5番くらいから説明会でぶっちぎりの第一志望に!
学生時代は何をやってましたか?
私は中学時代、ソフトテニスに打ち込んでいました。毎朝5時に起きて学校へ向かい、朝礼が始まるまで練習。昼休みには筋トレ、放課後は19時まで練習し、帰宅後も自主練を欠かさないという日々を過ごしていました。
「きついか、きつくないか」で言えば、間違いなく「めちゃくちゃきつかった」です。(笑)
仲の良い友人や先輩に支えられながら、吐きそうになりながらも必死に食らいついていきました。その努力の甲斐もあり、団体戦では全国大会に出場し、全国3位という成績を収めることができました。
ただ、私はサブメンバーだったため、レギュラーとして試合に出ることは叶いませんでした。それでも、間近で奮闘する先輩たちの姿を見て、胸が熱くなる思いをしたのを今でも覚えています。
中学2年生になると、少しずつ勝ち星を挙げられるようになり、県選抜メンバーとして全国の強豪選手と試合をするという貴重な経験を積むことができました。団体戦でも先輩方の支えがあり、全国大会に進出し、ベスト16まで勝ち進むことができました。そして、先輩方が引退する秋、顧問や先輩方の推薦を受け、新チームの部長に任命されました。部長としてチームを引っ張る立場となり、より一層責任感を持って指揮を執るようになりました。
3年生の全国予選では惜しくも敗れ、悔し涙を流しましたが、ありがたいことに複数の高校からスポーツ推薦をいただきました。その中で最も練習が厳しい高校を選び、進学を決めました。
高校では、中学時代のルーティンにさらに厳しさを加えた練習を続けました。正直、大変ではありましたが、それでも毎日が楽しかったです。(笑)
私は、自分自身が部活を楽しむことはもちろんのこと、文句の出ないプラスの言葉が飛び交うチーム作りを目指していました。そのため、1年生の頃から常にテンションを高く保ち、率先して雰囲気作りに励んでいました。そういった姿勢を見ていただき、先輩から部長に任命されました。
高校でも部長として、積極的に声をかけ、メンバーのモチベーション維持に努めました。大会では、県2位・3位あたりを行き来し、あと一歩のところで全国大会に届きませんでした。しかし、それでも大学のリクルーターの目に留まり、複数の大学からスポーツ推薦をいただくことができました。今度こそ結果を残したいという思いから、実績のある強豪校を選び、進学を決めました。
大学入学当初はコロナ禍の影響で、思うように練習ができませんでしたが、それでも毎日欠かさず自主練を続けました。限られた部活の練習では、先輩や同期のプレイスキルや戦術の多さに圧倒され、大きな差を感じて挫折もしました。しかし、私の強みである「チームの盛り上げ役」という役割は、大学でも変わらず発揮していました。
正直、絶望を感じることもありましたが、それを誰にも悟られないように、むしろより元気に振る舞っていました。
また、練習メニューも大きく見直し、自分自身や上手な選手のプレーをビデオ撮影し、フットワークの研究に励みました。フィジカルと体幹のトレーニングも取り入れ、テニスに向き合う姿勢を一から見直しました。その結果、大学2年生のコロナ明けの大会では、個人戦で全国大会に出場することができました。
しかし、団体戦ではレギュラーに入ることができず、チームが西日本2位という好成績を収めるのを、悔しさを噛み締めながら見守ることしかできませんでした。その後、先輩方が引退し、私は副キャプテンに抜擢されました。自分より上手な選手が数多くいる中での選出に戸惑いましたが、先輩から「これまでチームを気持ちで引っ張ってきたのはお前だ」と言われ、胸が熱くなりました。その言葉が嬉しく、より一層チームの雰囲気作りを大切にしていこうと決意しました。
ムードメーカーとしてチームを盛り上げる一方で、自分自身の練習にもより一層力を入れました。そして最終年度、個人戦では再び全国大会に出場し、1回戦を突破することができました。団体戦では、関西1部リーグで3位という成績を収めました。私はレギュラーにはなれませんでしたが、数回試合に出場し、勝ち星を挙げることもできました。
レギュラーになれず、悔しい思いもありましたが、この大学でのテニスを通じて、多くの気づきを得ることができました。最後の最後で、最高のメンバーに少しは手が届いたのではないか、と感じています。

就職活動について教えてください。
就職活動では、最初に選考を受けた企業すべてに落ちてしまい、かなり焦りを感じました。
その原因は明白で、自己分析や市場調査を中途半端に済ませてしまっていたことにありました。その甘さを指摘され、自分の準備不足を痛感しました。
就職活動の時期も4月中旬を過ぎ、ますます焦りを感じる中で、改めて自己分析を徹底し、自分がどの業界や職種に向いているのかを深く掘り下げて考えました。
阻止して定めた私の軸は、
・営業職としてどこに行っても活躍できるほど成長できる会社
・年収1,000万円を狙えるインセンティブまたは賞与が出る実力主義な会社
・個人で数字を構築しつつ、チームとして成果を追求できる環境
・競い合い、称え合える仲間と働ける会社
この基準に合う企業を探し、自己分析をしっかりと行った結果、6社の選考を受け、すべての企業から内定をいただきました。そして最後に受けたのがTSACEでした。
まず、座談会での冒頭の質問に対し、「結果を出せる人以外はいらない」とストレートに回答されたことが強く印象に残りました。(笑)
その後も、遠回しな表現をせずにズバズバと本質的な話をされる姿勢に興味を惹かれました。今までの6社では、ここまで率直に話す企業はなかったため、TSACEに対する関心が一気に高まりました。
一次面接では、TSACEの理念や仕事のやりがい、社員のレベルの高さについて伺いました。大学時代、レベルの高い環境に身を置くことで自分自身も成長できることを実感していたため、TSACEの環境に強く魅力を感じました。
最初は第3~5志望だったものの、座談会の1時間という短い時間の中で、気づけばぶっちぎりの第一志望へと変わっていました。(笑)
その後の社員面談では、「年収1,000万円を達成するためには何が必要なのか」「人材紹介の仕事の本当のやりがいとは何か」といった核心的な話を、細かく丁寧に聞くことができました。この面談を通じて、さらに熱意が高まりました。
二次面接では、緊張しながらも模擬営業に挑戦しました。面接が終わると、責任者の方から開口一番、「普段はあまりこんなこと言わないけど、めちゃくちゃ良かった!」とお褒めの言葉をいただきました。
さらに、「もっとこうした方が良い」と具体的なフィードバックもいただき、その内容が非常に分かりやすかったことに驚きました。営業未経験の自分でも理解できるように、論理的かつ噛み砕いて説明してくださり、TSACEの教育レベルの高さに感動しました。
最終面接では、竹之下社長との対話が待っていました。とてつもなく景色の良い場所での面接で、緊張しながらも、自分の超ポジティブシンキングをアピールしました。ただ、正直なところ、緊張と夕日に照らされる社長の姿が眩しすぎて、ほとんど視界がぼやけていたのを覚えています。(笑)
気がつけば、あっという間に終わった最終面接。貴重で刺激的な時間は、一瞬のうちに過ぎ去ってしまいました。TSACE以外考えられないほど強く志望していたため、結果が確定するまでの期間は不安で仕方ありませんでしたが、無事に内定をいただくことができました。
その後、内定をいただいていた他の企業には、すべて電話とメールで丁寧に辞退のご連絡を差し上げ、満を持してTSACEの内定を承諾しました。
インターンと入社式はどうでしたか?
インターンは、本当に刺激的な日々でした。これまで口頭で学んできた「人材営業」が、実際にはどのような仕事なのかを体験できたことは、大きな学びとなりました。また、社員の方々と同じフロアで働くことができたため、先輩方の仕事の進め方や、商談の様子を間近で見ることができました。そのおかげで、わからないことがあればすぐに質問できる環境があり、とても安心感がありました。
4月からの入社が、さらに楽しみになりましたね!
入社式では、竹之下社長がご自身の学生時代についてお話しくださいました。特に、学生時代にレギュラーになれずに苦しんでいたというお話は、非常に衝撃的でした。正直、それまでどこかで「生まれた時から特別な存在なのでは」と思っていましたが、社長ご自身が「自分は凡人であり、今も凡人である」と語られたことで、より一層その言葉に引き込まれました。(笑)
そんな竹之下社長から、私たち新卒社員に向けて、「これまで特別な存在でなくても、だれよりも努力して、誰よりも継続出来れば、必ず特別な存在になれる」という力強いメッセージをいただきました。その言葉を聞いたとき、身が引き締まる思いになると同時に、「ここからが本当の勝負なのだ」と社会人としての実感が湧いてきました。
その後、TSACEの理念やバリューについて改めてお話をいただき、組織としての目指す方向性や、自分が果たすべき役割について、より深く理解することができました。そして、ついに配属先の発表があり、入社式は終了しました。
ワクワクする気持ちの中にも、「ここから本気でやらなければ」という責任感が芽生えました。明日から、年収1,000万円を目指すためのロードマップが始まると考えると、期待で胸がいっぱいになります。もちろん、困難なこともたくさんあると思いますが、それすらも成長の糧とし、求職者様のため、そして自分自身の成長のために、全力で挑んでいきます。
社会人としての第一歩を、このTSACEという最高の環境で踏み出せることに感謝しながら、結果にこだわり、努力を継続していきたいと思います。