自律した思考力で全国の舞台へ躍り出たスプリンター

「1000分の2秒」の壁を越えるために

私のこれまでの学生時代を一言で表すならば、「優等生」という言葉が最も適切であると考えています。
しかし、それは単に学業の成績が優秀であったという意味ではありません。
「自分のやりたいと決めたことに対して、100%全力で、かつ論理的に楽しく取り組み切る姿勢」こそが、私の考える優等生の定義です。

私は小学生の頃から12年間、陸上競技、特に100m走に情熱を注いできました。
始めたきっかけは「足が速ければクラスの人気者になれる」という無邪気なものでしたが、次第にコンマ数秒を削り出す陸上競技の
奥深さにのめり込んでいきました。

最初の挫折は中学時代です。

4×100mリレーの選手に選ばれず、非常に悔しい思いをしました。
決して足が遅かったわけではありませんでしたが、上にはさらに強い選手が多数いるという現実を突きつけられたのです。
他の種目に転向することも考えましたが、どうしても100m走への情熱を諦めきることはできませんでした。

高校進学にあたっては、あえて強豪校へは進まず、練習環境が整っている中堅校を選びました。
強豪校のハイレベルな争いの中で勝ち抜く自信がなかったという側面も否定はしません。
しかしそれ以上に、「充実した練習環境さえあれば、自分自身で課題を設定し、論理的に自分を追い込むことができる」という
自己規律への確信があったからです。

タイムを縮めるため、私は100mの走りをスタートからゴールまで「フレームごと」に分割し、姿勢や二次加速のメカニズムを
細かく分析しました。抽出された課題を一つ一つ丁寧に解決していくという、非常に地道なアプローチです。
同時に、栄養学に基づいた食トレと筋力トレーニングにも注力し、入学当初からプラス6kgの筋力増量を果たしました。
結果として、入学時に12秒24だったタイムを卒業までに11秒04まで縮め、当初は校内選考すら通らなかった私が、
県大会の準決勝まで進出することができたのです。

大学進学時は自己推薦が叶わず、結果的に県内で最も陸上競技が強い大学へ進むことになりました。
ここで陸上に専念するため、両親に自身の熱意と計画を論理的に説明して説得し、万全のサポート体制を承諾してもらいました。

大学生活で痛感したのは、「伸びる選手とそうでない選手の違いは、どれだけ自分の走りを分析し、考え、行動できるかに尽きる」
ということです。幸いにも、大学のキャンパスのすぐ隣には陸上コートがあり、最新の練習器具も充実していました。
この「1人で徹底的に考え込み、追い込むことができる最高の環境」と、高校時代に培った「論理的思考力」が掛け合わさることで、
私の記録は飛躍的に伸びていきました。

1年次には自己ベストを0.3秒更新。2年次には北信越大会で7位に入賞。そして3年次の北信越大会では2位に上り詰めました。
この時、優勝選手との差はわずか「1000分の2秒」。筆舌に尽くしがたい悔しさを味わいましたが、
この敗北が私の分析と実践の精度をさらに引き上げてくれました。

そして集大成となる大学4年次。自己ベストの更新こそ叶いませんでしたが、北信越大会で見事優勝を果たし、念願の全国大会への
出場権を獲得しました。全国大会では更なる高い壁に阻まれ惜敗したものの、大学の歴代4位の記録に名を刻むことができました。
さらに、学生陸上最後の大会となった4×100mリレー部門では、北日本優勝を果たすとともに、大会新記録を塗り替えるという
最高の形で有終の美を飾ることができました。

目標達成に向けて緻密に計画を立て、愚直に実行し続ける。この陸上競技を通じて培った「知性と愚直さ」の掛け合わせこそが、私の最大の武器であると自負しています。

消防士志望からの進路変更。

民間企業への就職活動を本格的に開始したのは、大学3年の3月と少し遅めのスタートでした。
というのも、当初は消防士を志し、公務員試験の勉強に専念していたからです。

しかし、自身の将来のキャリアパスを冷静に分析していく中で、一つの懸念が生じました。
それは、公務員という組織の性質上「年功序列」の文化が根強く、自分自身が求める成長スピードに合わないのではないかという点です。
ビジネスの世界に飛び込み、社会人としてより多くのことを早い段階で吸収したい。
そう考えた私は、「20代の若手から圧倒的な成長を遂げる」ことを就職活動のコアテーマに据え、地元を離れて上京し、
民間企業へ挑戦する決意を固めました。

上京後、最初は不動産業界を中心に企業研究を進めていました。
「自己成長」と「実力次第で稼げる」というキーワードから導き出した、いささか安直な選択であったことは否めません。
しかし、若いうちから厳しい環境に身を置き、自らを追い込んでビジネスパーソンとしての基礎を構築したいという思いは本物でした。

そのような折、TSACEの会社説明会へのお誘いをいただきました。
正直に申し上げますと、当時は不動産業界を第一志望としていたため、最初はそれほど乗り気ではありませんでした。
ただ、「何事も経験であり、自身の視野を広げるための勉強として参加してみよう」というフラットな気持ちで、
説明会に足を運ぶことにしたのです。

 

代表の圧倒的な「生き様」に触れる

座談会で代表の竹之下社長に「学生に求めること」を質問した際、返ってきたのは「結果を出すこと」という、あまりにも簡潔で一切の
虚飾がない回答でした。
正直に申し上げれば、初手でベンチャーの厳しさを突きつけるその姿勢に「怖い会社だ」と身構えてしまったのも事実です。

しかし、それと同時に、自分の中でふつふつと燃え上がる「挑戦心」を明確に感じました。

私がTSACEに惹かれた理由は、大きく分けて二つあります。
一つは、結果に対して忠実な評価制度とインセンティブです。
そしてもう一つは、若手から与えられる大きな裁量権です。
陸上競技と同様に、自分の成長を自分の裁量で最大化できる環境は、私にとって非常に論理的で魅力的なものに映りました。

選考が進むにつれ、私の志望度は目に見えて変化していきました。
1次面接では、まだ不動産業界への未練があった私に対し、「なぜ不動産ではなく人材業界の方が、今のあなたを成長させられるのか」を、非常に具体的かつ立体的な視点で示していただきました。
キャリアアドバイザーという本質に触れ、不動産ばかり並んでいた私の志望度ランキングにTSACEが1位へ躍り出ました。

続く2次面接の模擬営業では、自分の営業力の現在地を痛感しました。
自分では精一杯取り組んだつもりでしたが、後から振り返れば「怪しい似非セールスマン」のような、本質から逸れた営業を
してしまったのです。
しかし、そこでの的確なアドバイスを通じて、営業という仕事の奥深さを再認識し、この会社で営業スキルを磨くことへの
期待感が一気に高まりました。

最終面接では、代表と直接対峙しましたが、不思議と緊張することなく、自分らしくハキハキと思いを伝えることができました。
対話の中で、実は同じ大学・同じ部活の同期も内定を承諾していることを知り、入社後の具体的なイメージをより鮮明に持つことが
できたのも大きな収穫でした。

そして、私が最終的に入社を承諾した最大の決め手は、代表の「人生観の格好良さ」にあります。
25歳で会社を立ち上げ、わずか15年で業界トップへと押し上げた実績
それだけに留まらず、再びゼロから新会社を設立し、自らが打ち立てた「トップ」という記録をもう一度塗り替えようとするその飽くなき熱量と志
直接お話を伺い、その芯の強さと生き様に、一人の人間として、そしてビジネスパーソンとして深い尊敬の念を抱きました。
この人の下で、この組織で、自分の限界を突破したい」。そう確信し、迷うことなく決断いたしました。

就活生の皆さんへ

私が実際にインターンを経験して感じたのは、TSACEにおける成長のスピード感は想像を絶するものだということです。
営業の基礎から仕事の細かな進め方に至るまで、膨大なノウハウを驚異的な速さで吸収し、実践していく過程は、
正直に申し上げれば非常に大変でした。

しかし、私はその環境を楽しみました。
なぜなら、ここで培うスキルこそが、将来ビジネスパーソンとして生きていく上で「圧倒的なアドバンテージ」になると確信して
いたからです。
インターンという立場であっても、一切妥協のない本物の教育を受けられたことは、私にとって非常に大きな財産となりました。

TSACEに向いているのは、「自分の力を本気で伸ばしたい」という、純粋で、かつ強固な意志をお持ちの方です。
「3年で、どこに行っても活躍できる人物になる」という会社が掲げる目標。
その言葉の通り、この3年間はどこよりも忙しく、学ぶべき事柄も膨大にあります。
しかし、その分、時間が過ぎるのを忘れるほど、目まぐるしいスピードで自己成長を遂げることができるでしょう。

一度火がついたら、冷める暇もなく駆け抜ける3年間。決して「飽き」の来ないこの刺激的な環境は、熱い志を持った方にとって最高の舞台です。
自らを高め続けたい、市場価値を圧倒的に高めたいと願う方は、ぜひ私たちの門を叩いてください。皆さんと切磋琢磨できる日を、
心より楽しみにしております。